「紋別観光ボランティアガイドの会」では、紋別灯台を流氷シーズン以外でも楽しめる観光ポイントとして着目し、皆さんが日頃から集える場所としてブラッシュアップしていく方向でプロジェクトを立ち上げることとなりました。 まだ、何をどうしていくかわかりませんが、皆様のお力を借りながら、周辺地域とも連携して進めていきたいと思っております。 当ホームページにおきましても、「紋別観光ボランティアガイドの会」と連携しながらプロジェクトを応援していくこととなります。 したがいまして、ページタイトルを更新しました。 この場を借りまして、ご興味のある方は、是非、紋別市観光ボランティアの会へのご協力もお願いいたします。特に若手ボランティアスタッフを募集しております!! 詳しく知りたい方は、「問い合わせ」または、紋別観光振興公社観光課までご一報ください。
- 所在地:北海道紋別市花園町8
- 建設:1960(昭和35)年
- 構造:塔形、コンクリー卜造
- 塗色構造:白赤横線塔形
- 灯質:単閃白光、10 秒毎に1閃光、
- 光度:520, 000カンデラ (LED化以前: 330,000 カンデラ)
- 光達距離:23.0海里[約41 km] (LED化以前:22.5 海里[約41 km])
- 塔高:13m 灯高:80m
- 初点灯:1960(昭和35)年12 月28 日 (2023年3月:LED化)
1960(昭和35)年に建築された紋別灯台です。 紋別灯台は、中心市街地を見下ろす高台に鎮座する灯台です。 冬、沖から迫る流氷を待ち焦がれるように...今年も、流氷の訪れを出迎えてくれました。
中心市街地
現在、日本国内には、3,000を超える灯台があります。 沖から迫る流氷、移り行く街並みを見下ろす灯台は、紋別の歴史を見続けています。 紋別灯台を見下ろす紋別公園は、春は芝桜、エゾヤマザクラが咲くスポット。冬は、話題のシマエナガちゃんも現れる!!撮影ポイント。 素敵なロケーションでしょう!!
建造
紋別灯台が完成したのは1960(昭和35)年だが、どういった経緯で港から離れた高台に灯台を建設したのか、記録は残っていないらしいです。 図書館に「紋別海上保安部50年史」という本があり、街の歴史も調べています。
概要
紋別港は、戦前はオホーツク沿岸の漁業基地として発展し、戦後の1960(昭和35)年に北洋漁業が再開されて以降、活気づきました。 こうした状況の中で、港湾の改良・拡大が図られ、その一環として紋別灯台の建設も進められたそうです。 『完成当時は、白と黒で、地元では「シロクロ灯台」と呼ばれていたそうです。 1948(昭和23)年の改修の際に、現在の赤白に塗リ替えられました。』という記述がありました。
紋別港の歴史
1685(貞享2)年、松前藩宗谷場所を開設。(紋別漁場は宗谷場所に属す) 1790(寛政2)年、紋別番屋の開設。 1855(安政2)年、西エゾ地神威岬からオホーツク海岸知床岬までと 樺太は秋田藩の警備持場となる。 1923(大正12)年、紋別港修築工事5ヵ年継続事業で着工。 1931(昭和6)年、北防波堤灯台完成。 1948(昭和23)年、紋別港の第3期拡張工事着手。 1952(昭和27)年、紋別公園開園。 1953(昭和28年):紋別港港湾管理者設立 1953(昭和28)年、釧路海上保安部紋別分室が設置されました。 1954(昭和29)年、釧路海上保安部紋別分室が紋別海上保安部に昇格しました。 1959(昭和34)年、巡視船「そらち」配備。 1975(昭和50)年4月22日に港湾法上の重要港湾に指定。 1977(昭和52)年、植物防疫法による「特定港」指定 1980(昭和55)年、紋別港、関税法に基づく開港指定。 1984(昭和59)年、紋別海上保安部に二代目巡視船「そらち」就役。 1987(昭和62)年2月1日、流氷砕氷船「ガリンコ号」就航。 1997(平成9)年1月20日、新流氷砕氷船「ガリンコ号Ⅱ」就航式。 2012(平成24)年8月4日、紋別港港湾管理者設置60周年記念事業 帆船「日本丸」が8年ぶりに寄港。 2014(平成26)年1月24日、紋別港、北海道開発局の北海道みなとオアシス「もんべつ」として登録を受ける。 2018(平成30)年8月25・26日、Sea級グルメ全国大会開催 2020(令和2)年1月、ガリンコ号Ⅲ IMERU就航
恋する灯台プロジェクト
一般社団法人日本ロマンチスト協会(本部:長崎県雲仙市愛野町)と日本財団(東京都港区)が共同で実施するプロジェクトです。 灯台を「ふたりの未来を見つめる場所」として定義することで「ロマンスの聖地」へと再価値化していきます。 日本全国の灯台から、ロマンスの聖地にふさわしい灯台を「恋する灯台」として、灯台がある地域を「恋する灯台のまち」として認定し、地域の観光資源としての灯台の価値を見直すことで、灯台に訪れる老若男女を増やして海への関心を高めていくことを目的とします。 日本財団は、NPO、企業、行政、国際機関、研究者、ボランティアなど様々な立場の方々と協働し、社会課題の解決に取り組む公益財団法人です。当プロジェクトは、海を未来へ引き継ぐアクションの輪を広げていくため、日本財団がオールジャパンで推進するプロジェクト「海と日本プロジェクト」の一環として推進しています。
「恋する灯台」プロジェクトのホームページに掲載されていたポイントを紋別灯台に当てはめてみました。 まだまだ、私の個人的なプロジェクトで...今後、ムーブメントになればいいなあ~と。勉強中です。
PLACE(場所)
日常を忘れさせて、ふたりの”恋する気持ち”を刺激するロケーションか
オホーツク海・北海道沿岸の海は、北半球で最も南に位置する凍る海の南限の海です。毎年、1月下旬から2月上旬に、シーズン最初に圏外から流入する流氷を陸から初めて確認できた日「流氷初日」を紋別市が発表します。 ここ紋別公園は、そんな流氷の海を紋別灯台越しに撮影できる絶景ポイントです。後ろの展望台が紋別公園の展望台です。標高80m、32キロが見渡せます。 「もんべつ海の学校」では、毎年1月から3月までここから海氷観測を実施しています。 毎年、会いに来る流氷を待ちわびて凛と立ち尽くす紋別灯台は...恋人を待つ姿に見えてなりません。
HISTORY(歴史)
心揺さぶられる感動的な逸話、後世に語り継ぐべき歴史を有するか
昭和、平成、令和と紋別市の移り変わり、時代の変化、節目を見続けた紋別灯台は、オホーツク海の海洋環境の変化も見続けてきたと言えます。 流氷は1956年と比較すると1/5になってしまいました。今、街の歴史も調べています。
ACCESS(道のり)
辿り着く道のりが、ふたりの心を近づけ、恋心の高まりを感じられるか
紋別バスターミナルから、約15分、旧JR名寄本線の跡地「メモリアルロード」を歩いて北へ向かいます。突き当りを一つ山側の道へシフトして紋別市民会館を目指します。 紋別市民会館は、紋別で行われるステージイベントが行われる会場です。冬にはシンポジウムも行われます。 紋別簡易裁判所と紋別市民会館の間の道を北西(左折)に向かい、紋別簡易裁判所の正面入り口に向かって丘を登ります。 後は道なりに進むと紋別灯台が見えてきます。さらに上ると紋別公園が見えてきます。
ROMANTIC(ロマンティック)
心が開かれていく自由さと、夢見る気持ちに広がりを感じられるか
紋別公園の周辺は小鳥がさえずる癒しのスポットです。 また、紋別庭園には、紋別港の開発に使われた石材を運び出した石切り場として利用された場所です。ちょっとした散策路と滝もあって、散歩コースにぴったりです。
OCEAN VIEW(景観)
空と海の青が広がり、世界の果てを感じさせる壮大さを感じられるか
オホーツク海を望む紋別灯台は、街並みを見下ろし、東側に紋別港全体が見渡せます。そして、正面は、流氷のふるさとであるサハリン北東海域を向いています。 2000キロの旅をして北海道沿岸に到達する流氷。紋別公園から水平線までは約32キロ。一面の流氷野は、人生観が変わるほど壮大です。
SHAPE(形)
魅力的なフォルムと、屹立するさまに孤高の美を感じさせるか
紋別灯台と同じような形状の灯台は、北海道に4か所あるそうです。 他の灯台は、十勝大津灯台、知床岬灯台、北見神威岬灯台です。ちょっと希少なのかもしれません。 (Facebook「灯台 Lighthouse」様)
※6つの要素の頭文字「PHAROS(ファロス)」。 ファロスとは紀元前3世紀頃にエジプトのファロス島に伝説の「アレクサンドリアの大灯台」が建造されたことから、フランス語やスペイン語で「灯台」の語源となった言葉です。